空いた両手がふさがらない

カフェインで目を醒まし、アルコールで眠る

 SNSアプリをiPhoneから削除してみた

 

  おおむねの人がSNSに溶かしている時間の価値> SNSで得られる情報・機会の価値であるという。筆者はゲシュタルト療法として、一度はすべてのSNSを停止して必要なものだけ後で再開するよう勧めていた。その主張には感銘を受けて、iPhoneからSNSアプリを消した*1iPhoneは外出用デバイスなので、そもそも充電器に置いたまま家ではなるべく使うべきではない。ただし、タブレットとかパソコンでブラウザからアクセスするなら良しとしている。アプリは手軽すぎてすぐ手が伸びるが、ブラウザからならWi-Fi環境で少し面倒くさい手順を踏まないとアクセスできない。そのひと手間があると、惰性から解放されて大いに依存性が削減された気がする。働きはじめてから読書時間が減っていた気がしていたが、浮いた時間を読書時間に充てればまだまだ読めそうと思う。SNSはあると楽しいがなくても死にはしない、アルコール*2やタバコのようだ。誰かの反応を得ることを目的としない、自分が自分だけのために行うような質の高い余暇を充実させたいものだ。ときにたまに休むべきなのは何も、SNSに限らないと思う。ワーカホリックの価値観で視野狭窄した労働者は、長期休暇によるリセットを経験して他に大事なことを見つめ直した方がいいと思う。

 

  パートナーに対して大きく安定型、不安定型、回避型の愛着パターンの傾向がベースにあるという。また愛着パターンは生育歴に影響される一方で、成人してからも変化しうるという。自分に関しては回避型に良くあてはまると思った。たとえば誰かに気前よく褒められたり、熱心に興味を持たれたりすると、何か裏があるのではと疑ったり、居心地が悪くなって接触を避ける行動をとってしまう。自前のパーソナルスペースが大きいのだろう。回避型は安全基地を持たない人間であるらしい。そのような人間も、ライフイベントで安全基地を持てるようになるとあとあと変われるとのこと。

*1:TwitterInstagramFacebookなど

*2:個人的にはアルコールと距離を保つため、お店でしかお酒は飲まないようにしている。