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5/15-5/21

週末にやるべきこと
今週のレシピを考える
掃除(ローテーションを組んで)
勉強
お出かけ、買い物
読書
アニメ視聴

運動

 

おすすめバン
メゾネットメゾン 地下鉄のトポロジーhttps://youtu.be/gKdop1tozWA

メゾネットメゾンの前身はウサギトネコであって、コンポーザーが同じでボーカルが代わったかたちだ。こういうエレクトロポップみたいな、打ち込みと生楽器が共存している音楽が好きなのかもしれない。先日M3という同人音楽即売会に行った時に新譜を購入した。

 

勉強

 今週はQBのvol.4を終わらせた。
 やはり学習の初期はパターン認識とtechnical termの習得を完成させる作業(もはや作業)に尽きると思う。Aというkeywordを見たら即座にAの定義(意味)と関連知識B,C,Dを想起するというように、頭の中に芋づる式のmind mappingを構築する必要がある。パターン認識は語学に当てはめるとvocabulary buildingに相当すると思う。語彙の蓄積が語学の根幹を成すようにパターンの蓄積が学習の根幹をなすと思う。型通りの典型例ばかりが試験で出るとは限らないが、典型例のstockがなければ知識の肉付けができないし、応用問題といっても典型例の組み合わせで解けることが多い(さらなる発想を求める問題は他の人も解けないので余裕がある人だけ手を出せば良い)。そして繰り返しになるがパターン認識を仕上げるには高速反復練習するしかない。こういう線結びの知識が基礎問題を扱うのに必要なのであって、そもそも線を描けなければ応用問題を扱うのに必要な面の知識までstep upできないと思う。
 客観式問題を解くときはまずなんとなくでもいいから正答を選べる状態になる必要がある。その次の段階としてなぜその選択肢が良くて他の選択肢が駄目なのか、他の選択肢はどういう意味なのか、どういう場合に正当たりうるのか理由を説明できるという段階に達すると良い(問題を吟味して考えればわかる問題なのか知識一発問題で丸暗記するのか要判断)。この段階を以ってその問題を習得したと言っていいと思う。理解するとはすなわち自分の言葉で説明できるということに他ならないからだ。説明できる知識は生きた知識であって自由自在に使いこなせると言っていい。問題集に載ってる問題を味わって咀嚼することで字面をなぞる状態から説明できる状態に持ってこれるのである。その意味では一度解いた問題を放置したりあれこれ違う問題集に手を出すのは得策とは言えない。肝要なのは知識をいかに深化させるかであるから。
 客観式問題は完全に◯とも×とも言える根拠がない△の選択肢が混ざってくるところが難しいと思う。特に◯に近い△を並べられた時、◯と△にどう優先順位をつけるのか、こればかりは考える他なく知識だけでは答えが導き出せないので、普段どれだけ思考の訓練をしているかが試されると思う。

 

手技が苦手
切開1つとってみても、無菌的操作を達成するために守るべき順番や作法があり難しい。器具を開封する順番とか、いろいろ気をつけなければならない事項があって必ず何かしらやらかしてしまう。採血もこれまで何度かやってきたが一発でちゃんと逆血がきた試しがない。手技全般が苦手なんだと思う。デモンストレーションを見てそれを1回で再現するというのがとてつもなく苦手。体で覚えるのが苦手なのである。体得するには座学と同じように考えずに手が動く境地に達するまで反復練習する必要があると思う。が、後でいくらでもやり直せる座学の勉強と違って、こういう手技は環境がないとできないものなので、わずかな実習時間に習得しずっと覚えている必要がある。教習用のビデオはあるにはあるが果たしてビデオを見ていれば手が動くようになるのか?疑問。(採血や縫合は臨床実習前に受ける実技試験の出題範囲になっている)

5/8-5/14

・CBT対策

 病院で実習をするにあたって、国家試験に対して仮免許的な位置づけにあたるのがCBT(Computer Based Testing)という試験である。客観式問題が1000問弱載っているQBと呼ばれる問題集を4,5冊(vol5は最新復元問題なので腕試し用にとっておくつもり)マスターして受ける必要がある試験だ。授業(試験がない講義ゆえ完全に内職するために出席にしている)や実習の合間を縫ってこつこつ解き、先週まででvol2,3を一部除く終わらせ、今週はvol4の途中まで進めた。今月の残り15日を1日平均100−150問ペースで解き進め、5月終了時点でvol1-4の1周目を終えることを目標にしている。8月末の試験までに4周したいと思っているので、6月に1日200問ペース×4週間で2周目、7月に同様にして3周目、8月に4周目ないしは間違った問題に絞って5周目に突入できればと思っている。

 初めは問題を間違えるたびに参考書でいちいち疾患や解剖生理を調べていたのだが、最近になって1周目をじっくり進めるのは効率が悪いなと思い始めた。(幸いにして)思考力を問うているわけではない、一対一対応の知識で解けるようなこの手の試験はどれだけ覚えているかが勝負であって、短期間に問題集を高速で周回するのが定石といえると思う。客観式の問題なのに正答を選ぶのもあやふやな状態では、いくら分からないことを調べても、記憶の定着という観点ではザルで水をすくうようなものだと思う。したがって1周目はさらっと済ませて全体像を掴み(幹を育て)、2周目以降納得し得ない問題だけ腰を据えて調べ(枝葉末節の知識をつけ)、最後の最後まで覚えきれない問題に関してまとめノートを作成するのが効率的かなと思う。ただ問題集に載っている問題がそのまま出てくるとは限らないので、捻られた問題に対処するためにもいずれは参考書を読んで周辺知識をつける(というかこの時つけた周辺知識が主たる得点源になると思う)ことは必要かと思っている。

 

・fhanaのライブ

金曜日にZepp DiverCity Tokyoまでfhanaのツアーファイナルライブに行ってきた。fhanaのライブに行くのはこれで2度目。fhanaはボカロで曲を作っていた同人時代からいいなと思っていたのだが、去年2nd albumのツアーに初めて行ってみて生で聴いてみてもやっぱり良かったので今回も数か月前から楽しみにしていた。入場は1000番台で欲しかったTシャツ(といっても去年のTシャツのデザインが良すぎて今回は見送ってもいいかなと思っていた)は手に入らなかったが、割りと前の方に位置取ることができてメンバーもよく見ることができたので満足だった。来年は病院実習の関係で平日開催のライブにはいけなくなる気がするのでこれで見納めを覚悟している。サプライズでダブルアンコールの後に3rd albumの制作が発表されたのでいまから待ち遠しい。ライブは、CD音源とは違ってやたらエモいソロを聴かせてくれるのが特徴だと思う。特にギターが。所謂アニソンバンドに収まるには勿体無いくらい曲がいいと思う。vocal除くメンバー全員(佐藤純一、kevin、yuxuki waga)が単体で作曲できるから手数が多いのかなと個人的に思っている。

 

ロクでなし魔術講師と禁忌教典

ロクアカにいたくハマってしまい、一日一冊ペースくらいで原作を消化している。本編8巻までと外伝2巻までを買い揃えたので一冊700円として7000円近く飛んでしまった。あまりに面白くて勉強時間や睡眠時間まで侵食されてきているのが悩みなので早く読み切ってしまいたい。思えばテンプレライトノベル原作アニメが好きで、アニメを観始めてから話の続きが気になってしまい、原作を一気に読んでしまうということを来し方繰り返してきた。(去年は最弱無敗のバハムートにハマっていた。)作品を読んでみてバトルパートがそんなにくどくなく(ex学戦都市アスタリスクになるとしつこすぎて読む気が失せてしまった)、日常パートのバランスがちょうどいい印象を受けた。いい意味で富士見ファンタジア文庫の息吹を感じる、ファンタジーライトノベル入門に最適な作品だと思う。

SNS遍歴

 その昔に「随筆」というSNSサービスがあった。かれこれ自分が小中学生だったころの話だ。フォロー(当時は「着眼」と呼んでいた)していたみんなは今でも元気にしているだろうか。(今でも連絡を取っている人は数人に満たない。)今でいうはてなブログや、かのmixiの規模を縮小して内輪でやっていたものを想像してもらえれば合っていると思う。twitterよりはちょっと長い文章を、その日あったことを交えて投稿したり、他の人の記事にコメントを付けたりしていた。「随筆」にどうやってたどり着いたのかというと、ふとブラックホール(宇宙の)について調べていたときに「ザ掲示板」というBBSに出会ったのがきっかけだ。「ザ掲示板」は当時BBSとしては2chに次ぐ大きさだった。「ザ掲示板」に付属するサービスとして「随筆」があったのであった。「ザ掲示板」は「忍者」というほとんど個人でやっているようなブログ運営会社が開設していたのだがわけあって突然サービスを終了してしまった。

 そしてtwitterにたどり着いたときには中学生も中頃だった。散り散りになった随筆民もいくばくかはtwitterに流れ着いていた。2chでもROM専していたが運営会社が変わって人口が減少し掲示板としての質が落ちたのを機に見るのをやめた。今のtwitterアカウントは高校生になってから作ったものだ。もう10年近くtwitterをしていると高校生だったようなフォロワーが大学を出て働きだしているような場合がある。時間が経つのも早いわけだ。アクティブなユーザーだけフォローしていたいというポリシーがあるのでおおむね一年以上呟いていないフォロワーは整理してしまう。更新をやめてしまったり、はたまたブロックされたり、体感で3年経つと2/3近くのフォロワーが入れ替わっている気がする。自分は幸運(?)にも現役でもりもり呟いている。

 永遠に続くと思っていた「随筆」が終わったとき、フォロワーを整理しているとき、サービスというマクロ単位にせよ、個人というミクロ単位にせよ、世の中は本当に諸行無常なんだなと思った。万物は生まれた瞬間から終わりに向かって歩み始めていると言っていいのかもしれない。今はtwitterが永遠に続いていくような気がするけど、遠からずまた新しいサービスが生まれるんだろうなと思う。(twitterなんて懐かしいサービスがあったねと懐かしむような日が来るわけである。)

 振り返ってみるとSNSとともにあると言って過言ではない半生だ。人格形成にどれほどの寄与があったことだろう。私生活に変化があれども使っているサービスに変化があれども、こうして匿名で細々と自分について開陳しているという点については変わりない。匿名だからこそ語れることがあるというものであって、実名サービスにはさして興味がない。現実と変わらないくらいの承認も手にできる。自分語りはまだやめられそうにない。

消費の形

 体験型の消費が苦手だ。ここで体験型の消費とは、たとえば旅行に行くような金の消費の仕方を指す。旅行の何が嫌なのかというと、消費したところで何も手に残らないところだ。思い出は手元に残るのかもしれないが、記憶はいつか薄れ色あせて消えてしまう。畢竟、目に見えないサービスにお金を払うのが怖いといっていいのかもしれない。掛け捨ての保険には絶対に入りたくない。アミューズメントパークにもレジャーにも行きたくない。電子書籍も買ったことがない。

 翻って体験型の消費に分類されるものの映画や水族館に行くのは好きだ。対価と得るものが適正に一致している実感があるから安心できる。映画とて観た内容は徐々に忘れていくものではあるが。映画を観たあとは結構な割合でパンフレットを買ってしまうのは無意識のうちに形に残るものを欲することの現れだったのかもしれない。食事もほどほど満足できればいいと思っている。高級な料理も低級な料理も腹に入ってしまえば排泄されるという点で同じだ。ただ、ほどほどというのが曲者だと思う。ほどほどの基準は得てして上がってしまうものだからだ。限界効用逓減の法則にしたがってより良いものを求めてしまうのは性だ。

 物を手に入れるのは好きだ。体験型の消費に金を回さない分、本やCD、ちょっと値が張る服をよく買ってしまう。読んだ本は滅多に読み返さないし、ましてや取り込んだCDなど見向きもしない。しかしあると安心するのである。服といえば尖った服が苦手で、良くいえばオーセンティック、悪く言えばおもしろみのない服を選んでしまいがちだ。物はあいまい極まりない記憶と違ってずっとあるがまま手にすることができるし、何より対価を払って得たという重みが実感できる。形あるものでも、いつかぼろぼろになって壊れたり使えなくなったりして手放してしまうことになる。が、そうなるまでは大切に使うし、好みが変わったくらいで捨てないように数年単位の運用を考えて入念に計画を立てているつもりだ。良い物を買って長く使いたいと思っている。高価といっても年単位で償却すれば高い買い物ではないと思う。それに、高価なものは堅牢な上に正規に修理を請け負ってくれることが多いので長く使うにはうってつけだ。と、御託を並べて無駄な出費を自己正当化してみるテスト。

 体験型の消費を避けてきて後悔していることが一つある。自分の写真がぜんぜん残っていないのだ。古い日記を読み返すことほど楽しいことがないのと同じくらい、昔の自分の写真を見返すのは面白いと思う。薄れ行く記憶を保存するために写真があるのかもしれない。金が貯まったら、良いカメラでも消費して体験を切り取りに行ってみたい。

 

怒り=自己正当化

以前に「自分の小さな箱から脱出する方法」という自己啓発本を読んだ。そこでは、自分の感情に背いてしまった人間は周りの世界を、自分への裏切りを正当化する視点から見るようになり、現実を見る目をゆがめられるという話があった。ここでいう自分の感情に背くとは怒ることを指している。要するに怒りは自己を正当化するためにあるのである。

これは認知症における物盗られ妄想に類推できると思う。認知症に特異的な症状に中核症状と周辺症状がある。中核症状は緩徐に進行する認知機能障害を指す。認知機能が落ちると記銘障害が起きる。単なる物忘れと違って、たとえば通帳をしまっておいたエピソード自体を忘れるので、しばしば物を取られたという妄想(作話)に発展する。家族を疑って癇癪を起こすので家族との関係がしばしば悪くなりがちだ。なぜ作話をして癇癪をおこすのか。衰えゆく自分の認知能力から生まれる歪みを正当化しているのではないだろうか。

かくいう自分はどちらかというと割りと細かいことでも気に障るので、怒りの閾値は低いタイプだと思う。が、努めて怒っていることは直接表に出さないようにしている。怒ったら負けだと思っているくらいだ。怒りをアピールすると一時的にフラストレーションが解消されるかもしれない。しかし果たして怒ることで事態がより良くなることがあるのだろうか。たとえば相手に全ての非があって、ゴネて得したとする。一見すっきりするようで心の奥底にはゴネたことに対するしこりが残るのではないだろうか。あるいは自分の下にある立場の人のミスを叱責したとする。相手は面従腹背してくれるかもしれないが、関係は(よほどの信頼関係が構築されていない限り)後退するのではないだろうか。怒りに服従させて反骨心を育てるよりも、むしろ相手を尊重しこちらは譲歩して振る舞うほうがあとを濁さずに済むと思う。

怒ることは本能に従ったホットな思考だ。怒りに身を任せるひとは理性に従ったクールな思考ができない精神的に未熟な人間であることをアピールしているんだなとさえ思う。一方で怒らないことに弊害もついてまわるとも思う。悪い感情を飲み込み続けた行く末に何が起こるか、あるいは無限に付け上がるサイコパスな人間に出会ったときにどうなるかは想像に難くない。

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

  • 作者: アービンジャーインスティチュート,金森重樹,冨永星
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2006/10/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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読書メモ

批評=価値を伝える文章 と定義
(レポートとしてはともかく)構造化された文章=面白い(=価値を伝えられる)批評にはならない
→容易に先読みできるので読み手の思考の楽しみを奪うから
→構造に従いつつも読者の意識を引っ掛ける工夫を凝らす必要がある(→優れた文章は読者の価値観に変化を促す)
Q批評はなぜ難しくなるのか?
→読者らの知恵の集合>>書き手の知恵の総量だから、読者の集合知へ挑戦するから
Q文章を書くのがうまくなるにはどうすれば良い?
→名文に触れること、何より書き続けること>>テクニックを学ぶこと

パン屋

 最近、徒歩1分ほどの近所にいい感じのパン屋を見つけた。ここに住み始めて3年ほどになるが、こんな店があるとは思いもよらなかった。近頃、朝はコーヒーだけ飲んで何も食べない生活が続いていたので、まさにちょうどいいところにあった。

 もっぱら水土の開店と同時の9時過ぎに訪れてまとめ買いするようにしている。開店と同時に買ったパンはできたてなのだろうか、持ち帰って食べてみてもまだほんのりと温かい。店に着くと、大抵4,5人の先客がいるが、店は4,5人入るといっぱいになるくらいのスペースしかない。対面には木の縁にガラスが嵌め込まれた大きなショーケースが設えてあって、所狭しとパンが並んでおり、ついでに有機野菜もおいてある。買うときは、欲しいものを注文すると店員が紙袋に詰めてくれる方式だ。パンの種類としては菓子パンの類はなくて、プレーンなパンが10種ほどに日替わりの種が練り込まれたパンが並んでいる。

 パンにはドイツ語の名前がついているだけあって、すべてライ麦が練り込まれた茶褐色のパンだ。皮はカリッと歯ごたえがあるけれど中はコシを感じさせるもちもち加減で、麦の良い風味がする。どれも美味しいけれど、特にレーズンパンが気に入っている。こればかり食べているとコンビニやスーパーのでは満足できなくなりそう、と思うくらいの衝撃を受けた。

 素材と手間にこだわりを感じさせる店なので値段もさぞ高いのかと思いきや、プレーンなパンで100円、変わり種でも高々300円、注文を受けてから作り始めるサンドイッチはちょっと高くて600円からで、毎日食べられる良心的な価格だ。末永く通いたい。