空いた両手がふさがらない

カフェインで目を醒まし、アルコールで眠る

自炊について

 ひとり暮らしをはじめてから、意識的に自炊をするようにしている。長らく習慣化してきたおかげでそこそこ作れるようになってきたと思う。

 自炊はよくコスト・パフォーマンスが悪いと言われる。ずぼらな方なので短くて10分、どんなに長くても30分で完結するようなものしか作らないようにしているが、設備投資や皿洗いをする時間などまで加味すると、まあ外食の方が安上がりかもしれない。 

 自炊で得られる効用は、まず栄養面で優れているところ。外食は美味しくするためにこれでもかと油と塩分を使っている。若い頃の食生活は一生続くと思う。生活習慣病という真綿で首を締めかねない。自炊しているとその気になれば栄養価をコントロールできる。

 ほかの効用は、一生使えるようなスキルが手に入るところ。この先、一生結婚できないと仮定して、まさか一生スーパーの半額弁当を食べ続けていくのだろうか。生きていく上で食事はやめられない。美味いものはお金を積めばいくらでも食べられるが、料理スキルはいくらお金を積んでも(自分で手を動かさない限り)手に入らないのである。コンビニ弁当の種類なんて高々有限だが、自炊は際限なく自分の食べたい物を食べたい分だけ作れる。皿洗いは多少面倒だけど、何かを創るという喜びは何にも代えがたいと思う(同時進行でいろいろ作れるようになると成長を感じる)。

 自炊のtipsを幾つか述べる。まずご飯は大量に炊いてタッパーに入れ冷凍保存しておくと良い。自分は3.5合を4食分として計算している。たまにストックが切れていることを忘れて料理を開始してしまうことがあるので、サトウのご飯を備蓄することを忘れずに。

 自炊を習慣化するコツであるが、初めは凝った物を作らずに簡単なものからはじめることだと思っている。ご飯を炊くことだって、後はスーパーでお惣菜やサラダを買ってくれば、もう立派な自炊だ。何より易から難へステップアップしていかないとすぐ続かなくなるだろう。

 メニューはこの際主食、主菜、副菜に絞ってはどうだろうか。米を炊いて、豚こま肉を焼いて焼肉のタレでも使って味付けし、水菜一袋を適当に切ってコンソメスープの素で煮ればもう一食分が完成する。一人暮らしに1汁3菜はそれこそ費用対効果が悪くて馬鹿みたいだ。モチベーション維持は本当は、人に食べてもらってフィードバックをもらうのが理想だろう。

 tipsの最後に料理の基本的な考え方について述べたい。料理は基本的に食材豚肉こま肉、豚ひき肉、牛肉、鶏胸肉、鶏もも肉、ささみ、手羽先、キャベツ、白菜、にんじん、もやし、水菜、玉ねぎ、トマトetc)調理法(煮る、焼く、蒸す、揚げるetc)、調味料(醤油、みりん、酒、砂糖、バター、ワイン、オリーブオイル、ごま油、味噌、酢、めんつゆetc)の三要素で構成される。主食を例に取るならば、「豚こま肉焼い醤油みりん=1:1:1で味付けする」で料理のベースが完成する。これにおろし生姜を加えれば生姜焼きになる。

 これまで料理のレパートリーは広く浅く、飽きっぽい性格も手伝ってメニューが被らないように、とにかく手数を増やすことを目標としていた。思いつきや雰囲気で料理していることも多かったので、料理本をきちんと買い揃えて正統派を学んでいきたいと思う。後は魚を料理するのが苦手なのでどうにかしたい。

 外食も全くしないわけではない。昼は学食で済ませているし。ただし高血圧・脂質異常症にならないため、ラーメン・揚げ物は週1回しか摂らないというマイルールを課してはいる。

5/22-5/28

 生活

  朝型の生活に切り替えたい。浪人していたときは23時就寝、5時起床で勉強していたこともあったので、早寝早起きを心がけたい。まだ寝坊こそしていないものの、予定がないとどうしても起床時間が昼近くになってしまい時間を無駄にしてしまう。

 

ビール

 ビールも発泡酒も似たようなものだと思っていたのだが、だんだん違いがわかるようになってきた。最近はエールをよく飲む。いわゆる普通のビールは下面発酵のラガーと呼ばれるものであるのに対して、エールは上面発酵で作られる苦味が強いビールだ。匂いが華やかでコクのある苦味が好きである。

 

掃除

 掃除機はコードが邪魔だし重いしで、まったく掃除をする気になれていなかった。クイックルワイパーを導入したののだが、手軽でかなり快適に掃除できるようになった。大きいゴミは取れないという欠点はあるが、それはたまに掃除機をかければ済む話であってこれなら掃除も習慣化できそう。

 

休日

 土曜は秋葉原、新宿をぷらぷらしていた。出かけるときは時間を有効活用するため早起きするのだが、この日は起きる時間が遅く昼になって秋葉原に着いた。MAZERUというまぜそば屋で昼食を摂った。11時50分について30分近く待った。ニンニクヤサイマシチーズをコールしたのだが、麺200gで抑えておいたにも関わらず野菜で結構お腹いっぱいになった。ライトノベルや漫画を物色したあと行きつけのカフェに行った。続きものとか好きな作者の既刊は近くの本屋で定期的にチェックしていていれば済むのだが、やはり新しい作品と出会うためには本屋で平積みになっている作品を物色する必要が有ると思う。平積みにはその店の推しとかカラーが出ておもしろい。(余談だが本といえば読むスピードより読んでみたい作品が増えるスピードのほうがよほど早い。一生に読める量にも限りがあるわけで、何を読むのか選ぶのも大事と思う。)カフェでは2時間近くまったり過ごしていた。新宿へ移動し時計を物色した。今使っている時計はかれこれ8年近く使っているG-SHOCKで、ソーラー電波ゆえ電池も変える必要もなく壊れる気配もないのだが、気分を変えられるようなサブ機が欲しいなと思っている。時計をみたあとはロースターで豆を購入した。のだが、いつの間にか値上げしていたうえにサービスのコーヒーがなくなっていて肩透かしを食らった気分。夜は友人と飲んで終電で帰宅した。日曜日は昼過ぎに起床し図書館へ。夜は家事やレポートをこなしていた。

5/15-5/21

週末にやるべきこと
今週のレシピを考える
掃除(ローテーションを組んで)
勉強
お出かけ、買い物
読書
アニメ視聴

運動

 

おすすめバンド

メゾネットメゾンの前身はウサギトネコであって、コンポーザーが同じでボーカルが代わったかたちだ。こういうエレクトロポップみたいな、打ち込みと生楽器が共存している音楽が好きなのかもしれない。先日M3という同人音楽即売会に行った時に新譜を購入した。

 

5/8-5/14

 fhanaのライブ

金曜日にZepp DiverCity Tokyoまでfhanaのツアーファイナルライブに行ってきた。fhanaのライブに行くのはこれで2度目。fhanaはボカロで曲を作っていた同人時代からいいなと思っていたのだが、去年2nd albumのツアーに初めて行ってみて生で聴いてみてもやっぱり良かった。今回も数か月前から楽しみにしていた。入場は1000番台で欲しかったTシャツ(去年のTシャツのデザインが良すぎて今回は見送ってもいいかなと思っていた)は手に入らなかったが、割りと前の方に位置取ることができてメンバーもよく見ることができたので満足だった。来年は平日開催のライブにはいけなくなる気がする。これで見納めを覚悟していた。ダブルアンコールの後に、3rd albumの制作が発表されたのでいまから待ち遠しい。ライブはCD音源とは違って、やたらエモいソロを聴かせてくれる。特にギターの和賀さんが。所謂アニソンバンドに収まるには勿体無いくらい曲がいいと思う。vocal除くメンバー全員(佐藤純一、kevin、yuxuki waga)が単体で作曲できるから手数が多いのかなと個人的に思っている。

 

ロクでなし魔術講師と禁忌教典

ロクアカにいたくハマってしまい、一日一冊ペースくらいで原作を消化している。本編8巻までと外伝2巻までを買い揃えたので一冊700円として7000円近く飛んでしまった。あまりに面白くて勉強時間や睡眠時間まで侵食されてきている。早く読み切ってしまいたい。思えばテンプレライトノベル原作アニメが好きで、アニメを観始めてから話の続きが気になってしまい、原作を一気に読んでしまうということを来し方繰り返してきた。(去年は最弱無敗のバハムートにハマっていた。)作品を読んでみてバトルパートがそんなにくどくなく、日常パートのバランスがちょうどいい印象を受けた。いい意味で富士見ファンタジア文庫の息吹を感じる。

消費の形

 体験型の消費が苦手だ。ここで体験型の消費とは、たとえば旅行に行くような金の消費の仕方を指す。旅行の何が嫌なのかというと、消費したところで何も手に残らないところだ。思い出は手元に残るのかもしれないが、記憶はいつか薄れ色あせて消えてしまう。畢竟、目に見えないサービスにお金を払うのが怖いといっていいのかもしれない。掛け捨ての保険には絶対に入りたくない。アミューズメントパークにもレジャーにも行きたくない。電子書籍も買ったことがない。

 翻って体験型の消費に分類されるものの映画や水族館に行くのは好きだ。対価と得るものが適正に一致している実感があるから安心できる。映画とて観た内容は徐々に忘れていくものではあるが。映画を観たあとは結構な割合でパンフレットを買ってしまうのは無意識のうちに形に残るものを欲することの現れだったのかもしれない。食事もほどほど満足できればいいと思っている。高級な料理も低級な料理も腹に入ってしまえば排泄されるという点で同じだ。ただ、ほどほどというのが曲者だと思う。ほどほどの基準は得てして上がってしまうものだからだ。限界効用逓減の法則にしたがってより良いものを求めてしまうのは性だ。

 物を手に入れるのは好きだ。体験型の消費に金を回さない分、本やCD、ちょっと値が張る服をよく買ってしまう。読んだ本は滅多に読み返さないし、ましてや取り込んだCDなど見向きもしない。しかしあると安心するのである。服といえば尖った服が苦手で、良くいえばオーセンティック、悪く言えばおもしろみのない服を選んでしまいがちだ。物はあいまい極まりない記憶と違ってずっとあるがまま手にすることができるし、何より対価を払って得たという重みが実感できる。形あるものでも、いつかぼろぼろになって壊れたり使えなくなったりして手放してしまうことになる。が、そうなるまでは大切に使うし、好みが変わったくらいで捨てないように数年単位の運用を考えて入念に計画を立てているつもりだ。良い物を買って長く使いたいと思っている。高価といっても年単位で償却すれば高い買い物ではないと思う。それに、高価なものは堅牢な上に正規に修理を請け負ってくれることが多いので長く使うにはうってつけだ。と、御託を並べて無駄な出費を自己正当化してみるテスト。

 体験型の消費を避けてきて後悔していることが一つある。自分の写真がぜんぜん残っていないのだ。古い日記を読み返すことほど楽しいことがないのと同じくらい、昔の自分の写真を見返すのは面白いと思う。薄れ行く記憶を保存するために写真があるのかもしれない。金が貯まったら、良いカメラでも消費して体験を切り取りに行ってみたい。

 

怒り=自己正当化

以前に「自分の小さな箱から脱出する方法」という自己啓発本を読んだ。そこでは、自分の感情に背いてしまった人間は周りの世界を、自分への裏切りを正当化する視点から見るようになり、現実を見る目をゆがめられるという話があった。ここでいう自分の感情に背くとは怒ることを指している。要するに怒りは自己を正当化するためにあるのである。

これは認知症における物盗られ妄想に類推できると思う。認知症に特異的な症状に中核症状と周辺症状がある。中核症状は緩徐に進行する認知機能障害を指す。認知機能が落ちると記銘障害が起きる。単なる物忘れと違って、たとえば通帳をしまっておいたエピソード自体を忘れるので、しばしば物を取られたという妄想(作話)に発展する。家族を疑って癇癪を起こすので家族との関係がしばしば悪くなりがちだ。なぜ作話をして癇癪をおこすのか。衰えゆく自分の認知能力から生まれる歪みを正当化しているのではないだろうか。

かくいう自分はどちらかというと割りと細かいことでも気に障るので、怒りの閾値は低いタイプだと思う。が、努めて怒っていることは直接表に出さないようにしている。怒ったら負けだと思っているくらいだ。怒りをアピールすると一時的にフラストレーションが解消されるかもしれない。しかし果たして怒ることで事態がより良くなることがあるのだろうか。たとえば相手に全ての非があって、ゴネて得したとする。一見すっきりするようで心の奥底にはゴネたことに対するしこりが残るのではないだろうか。あるいは自分の下にある立場の人のミスを叱責したとする。相手は面従腹背してくれるかもしれないが、関係は(よほどの信頼関係が構築されていない限り)後退するのではないだろうか。怒りに服従させて反骨心を育てるよりも、むしろ相手を尊重しこちらは譲歩して振る舞うほうがあとを濁さずに済むと思う。

怒ることは本能に従ったホットな思考だ。怒りに身を任せるひとは理性に従ったクールな思考ができない精神的に未熟な人間であることをアピールしているんだなとさえ思う。一方で怒らないことに弊害もついてまわるとも思う。悪い感情を飲み込み続けた行く末に何が起こるか、あるいは無限に付け上がるサイコパスな人間に出会ったときにどうなるかは想像に難くない。

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

  • 作者: アービンジャーインスティチュート,金森重樹,冨永星
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2006/10/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 156人 クリック: 3,495回
  • この商品を含むブログ (421件) を見る
 

 

 

読書メモ

批評=価値を伝える文章 と定義
(レポートとしてはともかく)構造化された文章=面白い(=価値を伝えられる)批評にはならない
→容易に先読みできるので読み手の思考の楽しみを奪うから
→構造に従いつつも読者の意識を引っ掛ける工夫を凝らす必要がある(→優れた文章は読者の価値観に変化を促す)
Q批評はなぜ難しくなるのか?
→読者らの知恵の集合>>書き手の知恵の総量だから、読者の集合知へ挑戦するから
Q文章を書くのがうまくなるにはどうすれば良い?
→名文に触れること、何より書き続けること>>テクニックを学ぶこと