空いた両手がふさがらない

カフェインで目を醒まし、アルコールで眠る

珈琲は1日3杯まで

 洗い物の溜まり具合がかなり精神衛生状態を反映している気がする。あり得ないくらい忙しくなるであろうことが分かっていた月曜日に関しては、7時過ぎに出勤して仕事してたら、日中は忙しかったけども定時までには仕事が終わってた。始業が早いのは大丈夫だが、終業が遅いことに抵抗がある。そこだけは譲れない。金曜日は近所のbarで少し飲み過ぎてしまったが、土曜の朝は7時過ぎには起きられた。仕事のある平日と休日の起床時刻を統一することで、月曜日の起床時の憂鬱感が少し減るのではないかという期待がある。土曜の朝はスターバックスdアニメストアの今期のアニメを追いかけたり、kindleで漫画を読んだりしていた。頃合いな時間となり、いつも行くラーメン屋に開店前から並んだ。早過ぎたのか一番のりだった。海老の出汁のラーメン並盛りを食した。家で休憩がてらデバイス類を充電した。朝に稼働した洗濯乾燥機からほかほかの洗濯物を取り出した。昼過ぎには最寄り駅から電車に乗った。黒のボトム・黒のインナーにグレーのベスト、ジャケットを羽織り、プレーントゥの革靴で出かけた。全体的に彩度低めの服装であった。ここ最近は朝は寒すぎるけど、日中気温が上がることが多くて服装に失敗する頻度が多い。
 まずは家電量販店でスマートプラグを求めた。Wi-Fi経由でスマートフォンからスイッチが操作できる優れものだ。デスクランプにスマートプラグを装着することで、起床したい時刻に自動的にライトが点灯するのではないかと考えた。大音量の目覚ましよりも、光で目覚める方が自然かと。
 買い物を済ませてお気に入りの喫茶店へ向かった。早めの時間だったので、すんなりと入れた。深煎りのサイフォン珈琲を飲みながら、シナモントーストを食べて落ち着いた。kindleライトノベルを読んで過ごした。店を後にして街をあてどもなく歩いた。特にするべきことなどはなかった。橋から川を臨んだ写真を撮ったことは覚えている。1時間ほどの散歩を済ませて、別の喫茶店へ向かった。三蜜という感じで、かなり混んでいたが、浅煎りのブレンドを啜った。満足したので帰りは大戸屋で夜ご飯を食べて帰宅とした。
 
 いまの雇用形態は非常勤雇用で、込み込みで日給9000円くらいで勤務していることになっている。平日に祝日が2日ある11月は、単純に考えて給料が2万円弱減ることに気付いてしまった。でも休日は普通に無給の、休日当番という出勤をしており感覚が狂いそうだ。願わくば普通の会社員くらいの給料でいいから、当直明けは確実に帰れるようにして欲しいし、休日に当番をしたら代休とか用意して欲しい。お金も経験も要らないから時間が欲しい、なぜならば20-30代の時間はとても貴重なので。健康的な労働・健康的な消費をしたい。どんなにお金があっても買えないものがたくさんあるだろう。時間とか、時間とか、時間とか。死を目前にして生が鮮明になるように、労働をこなすことで生活が浮かび上がってきたこともあるかもしれない。労働に乾杯だ。
 有給の取得(金曜午後半休って実質3連休くらいのお得感がある気がする)を義務化してもどの組織も守りそうにないことくらい予測可能であって、手っ取り早く働き方を変えたいならば、国が定めるところの祝日を増やすべきだろう。陰謀論ではないがその行為で得をするのは誰なんだ?という視点が常に必要。

 

 現代の第1子の平均出産年齢は30歳らしい。2年の新婚・妊娠生活を考慮して28歳同士で結婚すると仮定し、さらに1.5年間の交際期間を経て結婚に至ると仮定すると、26.5歳までには生涯を共にする伴侶と出逢っていなければ計算が合わないだろう。
 職業柄は相手を選ばなければ、いつかはお金を目当てとする女性と結婚できるのだろう。さりとて幸福な結婚ができるとは思えない。幸福な結婚には、お互いの若いころの苦労が視えていることが必要と信じてやまない。お金も持っていなければ仕事もできない、いまの自分をみて、それでもなお”愛してる”って言ってくれる人だけと結婚したいのは甘えなのか。だいたい高級な職(職業に貴賎はないという立場には賛成だが、虚業諸行無常を体現していることに疑いの余地はない)に就いてる人間は、頭の回転は早いほうではあるだろうけどだいたいは仕事のし過ぎで狂っているし、仕事のし過ぎで教養はないから話していても面白くなさそうだ。

 案外といにしえの許嫁みたいな制度は理に適っていたのかもしれない。初恋の人と結ばれる人生こそ幸せなのであって、自由恋愛なんかしているから婚期は遅れるし、自由な意思に基づいて不倫も離婚もしてしまうのだろうと思う。
 みんなが思い浮かべる”普通”の総和をとりすぎるとそれは”理想”に近づく。友達とか、恋愛とかの定義について延々と議論して考察していたい。そこには十人十色の考え方があって、その考え方をなぞっているうちには、その人自身の輪郭までもが浮かび上がってきそうだ。個人的には所作とか佇まいが洗練されている人に惚れてしまいがち。虚栄心に支配されている人間は苦手。人間がちやほやされすぎるとたやすく壊れることは、ワイド・ショーを騒がせる芸能人や政治家が好例であろう。
 
 みんな感情と行動の整合性を求めて、言い訳とかそれらしい理屈をでっち上げているようだ。自分もなるべく空気は読んでいきたいが、それは自分の正義を曲げるほどではないかなと思う。それでもスーパーで「買い物はなるべく少人数で、短時間でお願いします」みたいな放送が流れていると笑ってしまう。そもそもスーパーで好んで長居する人っていなくて、まずレジの混雑が律速段階になっているに過ぎない。社会的距離を保つとか、隣の席との間に仕切りを立てるとか、そういう問題か?と穿った見方をしてしまう。やっている雰囲気を出すだけでは、結局のところ何も進んでいなくて。本音と建前が乖離し過ぎて支離滅裂なことを喋っている人に何と反応すれば正解なのかよく分からないことが多い。

 何かを選ぶとき、必ず何かを諦めている。何か思い通りにならないことがあったとて、それもまた人生かなあと納得することのほうが多くなってきた。人生はあたかも大富豪で遊ぶように、与えられた手札で頑張るしかない。プラス思考というわけではないが、プランAがベストだけどプランBでもベターかなと思うようにしている。
 他人の言動に一喜一憂しない(戒め)ことが大切だ。今後とも諦めはしないが期待もせずに生きていくとする。