空いた両手がふさがらない

カフェインで目を醒まし、アルコールで眠る

本を見繕う

 積読を読んで片付けていた。奥付の印刷日をみると8年前の本までも積んであったようだった。買ったはいいものの、当時はいまいち読む気が起きなかった本たち。いま読むと充分に面白い本たちで、当時の感性にも狂いはなかったことがわかる。

 積読が溜まったときは、読みもしないのにこんなにたくさん買ってと自己嫌悪することもあった。時を超えてあのとき買っておいてよかったなと思うときが来るみたいだった。読みごろまで、本(と読み手)を熟成したとも言える。財布とは相談しつつ、積むことにはそんなに悲観的にならなくていいのかもしれない。

 昨日は本を買うのに2時間ほど本屋をうろうろしてしまった。目星をつけていた本を在庫検索機で探し、在庫の存在を確認して目的の書架に向かうも本は見当たらなかった。こういうときは平積みの台にあったりするはずなのだが、平台にもなかった。在庫有り表示の本は、どこへ消えてしまったのだろう。

 やむなく次点で読みたかった本を探した。ハードカバーなのでやや値段がするようだ。ハードカバーの本は装丁が好きだが、まあ大きくて持ち運びが不便だ。かさばりもする。いっそ電子書籍で買ってしまうのもありなのかもしれない。電子書籍は易し。味気なくも在庫がないことがない。結局、並んでいる文庫本を適当に見繕うことにした。感性と作家を信じて、裏のあらすじを流し読みして手に取った。おもむろに目的外の本を手に取ると新たな出会いがあることもある。