怒り=自己正当化

以前に「自分の小さな箱から脱出する方法」という自己啓発本を読んだ。そこでは、自分の感情に背いてしまった人間は周りの世界を、自分への裏切りを正当化する視点から見るようになり、現実を見る目をゆがめられるという話があった。ここでいう自分の感情に背くとは怒ることを指している。要するに怒りは自己を正当化するためにあるのである。

これは認知症における物盗られ妄想に類推できると思う。認知症に特異的な症状に中核症状と周辺症状がある。中核症状は緩徐に進行する認知機能障害を指す。認知機能が落ちると記銘障害が起きる。単なる物忘れと違って、たとえば通帳をしまっておいたエピソード自体を忘れるので、しばしば物を取られたという妄想(作話)に発展する。家族を疑って癇癪を起こすので家族との関係がしばしば悪くなりがちだ。なぜ作話をして癇癪をおこすのか。衰えゆく自分の認知能力から生まれる歪みを正当化しているのではないだろうか。

かくいう自分はどちらかというと割りと細かいことでも気に障るので、怒りの閾値は低いタイプだと思う。が、努めて怒っていることは直接表に出さないようにしている。怒ったら負けだと思っているくらいだ。怒りをアピールすると一時的にフラストレーションが解消されるかもしれない。しかし果たして怒ることで事態がより良くなることがあるのだろうか。たとえば相手に全ての非があって、ゴネて得したとする。一見すっきりするようで心の奥底にはゴネたことに対するしこりが残るのではないだろうか。あるいは自分の下にある立場の人のミスを叱責したとする。相手は面従腹背してくれるかもしれないが、関係は(よほどの信頼関係が構築されていない限り)後退するのではないだろうか。怒りに服従させて反骨心を育てるよりも、むしろ相手を尊重しこちらは譲歩して振る舞うほうがあとを濁さずに済むと思う。

怒ることは本能に従ったホットな思考だ。怒りに身を任せるひとは理性に従ったクールな思考ができない精神的に未熟な人間であることをアピールしているんだなとさえ思う。一方で怒らないことに弊害もついてまわるとも思う。悪い感情を飲み込み続けた行く末に何が起こるか、あるいは無限に付け上がるサイコパスな人間に出会ったときにどうなるかは想像に難くない。

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

  • 作者: アービンジャーインスティチュート,金森重樹,冨永星
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2006/10/19
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